【小さなファンタジーを生きていく】

はたらく大人のサードプレイスセミナー『ゆっくり、いそげ』に参加して。

先日、「クルミドコーヒー/胡桃堂喫茶店」店主の影山知明さんの講演に行ってまいりました。

このタイミングでこれが聞けたのは、私にとってとても良かったです。やっぱ、わたし持ってるわー!

以下、講演ハイライトからの〜私ゴトへの変換からの〜自分語りになります。

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影山さんによると。

現代社会の主流は「三角形△」で現せるそう。題して〈大きなシステム〉だ。

■三角形△:大きなシステム

システムの合理性の追求を良しとした工学的アプローチ、結果や成果重視のリザルトパラダイム。イメージとしては、自動車をつくるような。

一方で、影山さんが大切だとして取り組まれていることを現すと「逆三角形▽」になるそう。題して〈小さなファンタジー〉。

■逆三角形▽:小さなファンタジー

生命論的アプローチ、プロセスパラダイム。イメージとしては、植物が育つような。

まさに、影山さんのご著書のタイトル『ゆっくり、いそげ』のように。小さなファンタジーは、時間こそかかるものの売上がちゃんと伸びてくる、想像もつかない未来へと私たちを連れていってくれる。そこに魅力があるそう。

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ところで。

ルドルフ・シュタイナーが提唱した「社会有機体三分節化論」というものがある。

社会において「政治や法」「経済」「精神つまり文化(芸術や教育)」がごちゃ混ぜに論じられることには問題がある。これらはそれぞれ異なる原則に基づいているので、切り分けて考える必要がある。フランス革命で叫ばれた自由・平等・友愛を、各々の原則としてあげることが出来る。つまり3つは別物であると同時に、共存可能なものだ。

政治や法:平等の原則

経済:友愛の原則

芸術や教育:自由の原則

これの実に画期的なところは。やるかやられるか?と混迷を極めた議論を3領域に切り分けて整理することで、そのすべてを共存させた点である。

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影山さんはおっしゃった。

仕事とは、誰かを喜ばせることである。だから、自分が好きでやることというのは趣味なのだ。とはいえ、この2つには重なる部分もあるよね。

クルミドコーヒーは「嘘のつけない大事な人」に向けて、その人が喜ぶ顔を思い浮かべながら展開している。そうすると、自ずと統一された世界観になってくる。ペルソナ設定から動くのでは詰めきれない細部にまで統一感がでてくる。

《あなたはあなたのままでいい》

大事な人へそう言えるように、そんな場になるように、思いを込めて日々の仕事をしている。だから、この講演を聞いているあなたも、誰かのことを思い浮かべてみてください。「たったひとりのためでいい」。その人の顔を思い浮かべて仕事をしていくことで、実のある仕事ができるでしょう。

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そしていよいよ、私自身の話へ。

また、影山さんはおっしゃった。

天職とは、英語でCalling。つまり、神様に呼ばれる感じがするものである。大事なのは、呼ばれたときに気づけるか?踏み出せるか?だ。

わたくしごとですが。先日、まさに感じたのです「呼ばれてる感」を。

ある美術団体さんが私が細々と発表している作品たちをご覧になり、「あなたは筋金入りの表現者ですね」と。現代アーティストとしてこの後にも名と作品が残っていくようにしたい、とお声がけいただきました。

せんじつ発表した『母性』について。あれは実は、「ええい!もう、人生に降りかかるものすべてを芸の肥やしにしてくれるわ!」と制作したものです。いま私のお腹には小さな命が宿っています。そのことを公にしないということも考えていたし、それも1つの選択肢だと思っていました。でも、私自身の「表現者」という在り方を見つめたときに、母親としての役割を得て変化していく様を、このさき無視したり隠したりするのには無理があるなと思うに至りました。それに、産まれてくる我が子のへの思いを作品として残していけるって、素敵じゃない?

そんな私の作品の変化や私の人生変遷をも「表現者」として受け止め、価値あるものとして感じてくださっている方の存在を知り、これはもうやってやろう!と、突き進むしかないっしょ!と。つい先日、心新たに決意したばかりです。

だからね。

これからの私は、我が子を思い「あなたはあなたのままでいい」と言えるように表現の活動していきます。私の目的は、表現を通して大金を稼ぐことや名を馳せることではありません。むしろこの方向だと、お金を消費する側に居続ける可能性の方が大きい、不経済だ。でも、表現を生涯にわたって続けていくことにはお金に代えられない価値がある、そう私は確信しています。

というわけで。

皆さま、これからも御代川を宜しくお願いいたします!

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余談。

影山さん、曰く。

私はなるべく直感で物事を選んでいます。でも、そのあとで人に理由を説明できるよう言語化の作業もしています。

私も同じです。

例えば『母性』で着ている紺色のワンピースについて。あれはぶっちゃけ普段着で、撮影のために特別に用意したものではありません。その辺にあって手っ取り早かったんで使いました。

でも、じゃあなんで「紺色の」「ワンピース」なのか?

紺色:照明や光の当たり具合で漆黒にも明るい青にも見えます。その多面性が好きで、買う時に紺色を選びました。

ワンピース:あの形は、高校のダンス部で着用したことのある形です。ダンス用品の老舗メーカーであるチャコットさんが、あり型として採用している形(当時は)。つまり、着姿がたいへん美しくなる設計で、それは立っているときだけでなく動きまでもきれいに見せる仕様。だから、数あるワンピースの中でこれにしました。

というような背景が日常からすでにあり、撮影のためだからとそこへ向けて新たに頭をヒネって考えることなしに、衣装はあれになったのです。

というようなエピソードを!『母性』という作品について聞かれた時に、ワンピースのみならず、手に持っている花、髪型、背景などでも語れる、的な?にっこり。

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影山さん、貴重な、そしてたいへんアツい!心に響くお話しを、ありがとうございました。私はかなりの時間、席で目をうるませておりました。

私に関わってくださっているすべての方へ恩返しができるよう、これからも進んでまいります。

2024年6月23日